きゅうあんじ
三重県多気郡明和町南藤原615
当寺の開基は北堂左京太夫と伝えられる。その後多気国司北畠中納言具(とも)教(のり)の臣中村左近尉が北堂氏の遺跡である中藤原に城塞を築き当寺をその菩提寺と定め、その家臣達もここに葬られたから寺勢も盛ん..
当寺の開基は北堂左京太夫と伝えられる。その後多気国司北畠中納言具(とも)教(のり)の臣中村左近尉が北堂氏の遺跡である中藤原に城塞を築き当寺をその菩提寺と定め、その家臣達もここに葬られたから寺勢も盛んであった。北畠氏の滅亡に伴い中村氏も衰え、豊臣氏の頃には滅んだから寺の勢いも振わなくなり、わずかに草庵程度のものがあったに過ぎなかった。その後水崖存吸和尚が来て薗田氏等と力をあわせ寺を建て、その師名張徳蓮院二世直道伝龍を招請して開山とした。
松雲山
曹洞宗
1498年
聖観世音菩薩
悟渓養頓禅師
「勢州七福神めぐり」布袋尊霊場 「御糸福神巡り」布袋尊霊場
獅子頭
明和イオンから東に徒歩で12分
9:00から16:30
無料
5分から
有り