こうみょうじ
岐阜県養老郡養老町鷲巣1300番地の1
多芸七坊の時は小倉山光明寺といい養老町鷲巣薬師山にありました。光明寺は天平年中(729−949)に光明皇后の発願によって創建されたとと伝えられています。 薬師山一円を寺領として七堂伽藍もありました..
多芸七坊の時は小倉山光明寺といい養老町鷲巣薬師山にありました。光明寺は天平年中(729−949)に光明皇后の発願によって創建されたとと伝えられています。 薬師山一円を寺領として七堂伽藍もありましたが、前記の兵火(織田勢の焼き討ち)で焼失しました。 この時の住僧一祐が本尊薬師如来を運び出し、車に積んで避難しました。小倉と鷲巣の分かれ道で小倉に行こうとすると車がギリギリと鳴って動かず、鷲巣に行こうとすると軽く動くので、これは薬師如来が鷲巣に行きたいのだと思い鷲巣に向かったと伝えられています。この場所を今でもギリギリと呼んでいます。 鷲巣では薬師堂を建て安置しましたが、安政四年(1854)に火災にあい再建されて現在に至っています。 本来、薬師如来像は行基菩薩の作と伝えられていますが、薬師山事件中に何者かに取り替えられ現在に至っています。 なお、本尊は土俗乳貰いの薬師といい、乳の出ない人が祈願しますと乳が出ると云われています。 また昭和十八年薬師堂を薬師山光明寺と改めました。
郷土史『鷲巣の歴史探訪』による記述
中世を代表する宗教勢力の「多芸七坊(たぎしちぼう)」と呼ばれる7つの寺院跡の一つ、
天平年中は法相宗、平安時代には天台宗
天平年中(729ー749) 創建当初は小倉山光明寺として養老町鷲巣薬師山にあった。
光明皇后