かんのんじ
岐阜県揖斐郡揖斐川町春日中山2725
養和元年(1181)に天台宗の寺院、元正庵として現在地より山よりの場所に開かれた。弘安年間に現在地の東隣に移転する。戦国時代後期には無住となり、仏像も持ち出され荒廃した。慶長5年(1600)、関ヶ原..
養和元年(1181)に天台宗の寺院、元正庵として現在地より山よりの場所に開かれた。弘安年間に現在地の東隣に移転する。戦国時代後期には無住となり、仏像も持ち出され荒廃した。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに敗れた小西行長がこの寺に潜伏していたが、竹中重門により捕縛されたと伝わる。慶長6年(1601)には種本村から千手観音・大日如来及び釈迦如来の像が移され、安置される。正保年間、大垣藩主戸田氏初代戸田氏鉄の妹で本多正勝の正室であったおさいが眼病を患った際に中山の観音に帰依せよという霊夢により、当寺を訪れ完治したといわれる。慶安元年(1648)、荒廃した元正庵を戸田氏信が再興し、大乗寺25世白峰玄滴を観請開山としておさいは自らが建立した栄春院にこの観音像を移して別の観音像を本尊として観音寺に納め、現在の本尊となっている。享保18年(1733)に焼失した際は、当時の藩主戸田氏長により復興された。万延元年(1860)再び焼失し戸田氏十代戸田氏彬により再建されて山号を施無畏山に改め至っている。
施無畏山 普門山(旧)
曹洞宗
養和元年(1181)
十一面千手観音菩薩
慶安元年(1648)
西美濃三十三霊場 第十二番札所
無料
20分
有り
無し