二七山不動院【公式】 のおまいり

縁起:江戸後期、将軍に仕えた直参旗本の桜井遠江之守の屋敷の一遇にお不動様の祠があった。ある日通りかがりの僧侶が、その祠の前で御告げを聞き供養をすることになった。その行は27日間断食を行うと云う大変過酷な荒行であった。この僧が行った供養から二七不動尊と呼ばれるようになり、それ以来2と7の付く日には縁日が開かれ、明治時代には大変賑わった。平成17年の火災により二七山不動院は焼失し、平成29年に同じ九段にて二七山不動院を再興。現在に至る。

東郷元帥と二七山不動院:日露戦争時に元帥のお母様と奥様がお百度詣りをし、成満日であった1905年5月27日に、元帥が率いる日本艦隊がロシアのバルチック艦隊に対して大勝利をおさめた。その後、元帥と奥様お二人でよくお参りをされ、御堂脇に楓を植えられた。後に、当山の御朱印にもなっている「南無大聖不動明王 為二七山大正十二年十一月東郷平八郎書」を贈呈された。