圓通山救世院觀音禪寺は、妙心寺二世授翁宗弼禅師と大内義弘との協力で建立された大伽藍でしたが、兵火に遭い焼失。のちに村人が大松の根元より掘り出したという聖観音を本尊とし、慶安元年(一六四八)三木城主鈴木三郎九郎重成を施主に再興。実兄石平道人鈴木正三を開基とします。
安産に霊験著しく、美濃岩村城主丹羽式部少輔氏定の妻が当観音に祈願し男児を出産。報恩のため唐金の涅槃像・涅槃図と梵鐘(府文化財指定)などを寄進、境内に桃の木千数百本を植樹しました。この桃の木が有名な稲田桃の起こりと伝えられています。尚この本尊聖観音は秘仏のため、ふだん開扉されることはありません。