いわつきじょう
埼玉県さいたま市岩槻区太田3丁目4−4
岩槻城は戦国時代に築かれた平山城。岩付城、岩附城、浮城、白鶴城ともよばれる。1457年(長禄元年)に太田道真・道灌父子が築城したと言われていたが、蓮田市にある忍城主・成田親泰の祖父にあたる成田資員が..
岩槻城は戦国時代に築かれた平山城。岩付城、岩附城、浮城、白鶴城ともよばれる。1457年(長禄元年)に太田道真・道灌父子が築城したと言われていたが、蓮田市にある忍城主・成田親泰の祖父にあたる成田資員が築城したとする説も有力で、築城者と築城年については定かではない。元荒川を天然の外堀として利用した総曲輪(惣構え)の縄張りで、扇谷上杉氏と古河公方足利氏の領地の境目に築かれた最前線の城として活用された。16世紀後半までは太田氏が城主だったが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原討伐で落城して以降、有力な譜代大名の居城となった。現在は岩槻城址公園として整備されており、黒門と裏門が移築されているほか、当時の土塁がいまでも残っている。
有り