寺は、大沢の中央那賀川沿いにある。登り口正面に、「かさ地蔵」と呼ばれる端正な地蔵尊が立ち来訪者を迎えてくれる。
境内庭に大きなモクセイが一本。寺は近年まであった庫裏は取り壊されて、間口4間、奥行き4間の本堂のみである。
間創は文明13年孤峻(延徳2年示寂)といわれ、本尊は観世音菩薩である。長い寺の歴史を伝えるものはないが、墓地の片隅に並ぶ僧侶の墓にその一端がうかがえる。
塔頭(出先の寺)の小さな寺、住職は居たり居なかったりの状態であったのであろう。その数は少ない。また恵瑞以後の墓は見当たらない。それからは本山帰一寺の住職が兼務したものであろう。
本堂裏山の中腹に、小さな愛宕堂がある。昔大沢の火災鎮護の神として愛宕山(堂山とも呼ぶ)にあったが、明治の廃堂政策により6年廃され、本尊は玉林寺の須弥檀に安置されていた。
以来20年余りたった明治26年(1893年)、再建を願う大沢区の人々の手によって、ここに堂が再建され本尊は遷座されたのである。