弘安8年(1285年)、郡家郷の一部であった郡家集落に住んでいた饗庭二郎光俊の次男・郡家三郎光継が、鎮守の神として白山大権現を祀ったのがはじまりだと社伝にある。
享禄3年(1530年)6月3日、藪川(現在の根尾川)が氾濫し、社殿が流失した。郡家の人たちはこのことを憂慮して、数年後に再興された。その後幾度となく水害に遭ったが、そのたびに再興された。祭典の際には領主石川太郎八公の奉幣あるなど、とても賑わったという。
安政6年(1860年)、社殿が改築される。明治32年(1899年)9月、遷宮が行われる。大正7年(1918年)2月、社殿が改築される。