みょうらくじ
滋賀県東近江市伊庭町2286
持統天皇3年(689年)、藤原鎌足の次男・不比等の願いにより鎌足の長男・定慧によって天台宗の寺院として創建されたと伝わる。 のちに佛光寺7世・了源上人の弟子・了念によって再興され、真宗佛光寺派とな..
持統天皇3年(689年)、藤原鎌足の次男・不比等の願いにより鎌足の長男・定慧によって天台宗の寺院として創建されたと伝わる。 のちに佛光寺7世・了源上人の弟子・了念によって再興され、真宗佛光寺派となった。了念が旧境内から6丁ほどの距離にあった松の木に登ってそこで往生したという言い伝えに基づき、もとあった伊庭山の麓から現在地へと応永5年(1398年)より移転が開始され、正長元年(1428年)に移転が完了した。 佛光寺派に属してからは佛光寺の同格別殿すなわち准本山とでもいうべき高い格を与えられていたが、佛光寺との本山争いが勃発して佛光寺の下につくことを嫌い、元文4年(1739年)に浄土真宗本願寺派へ転派した。 現本堂は前の本堂が文政2年(1819年)の大地震によって倒壊したあと、法光寺に次いで天保5年(1834年)に再建されたもの。棟札から高木作右衛門但馬の弟子で美濃石津郡出身の伝兵衛が建てたとわかる。 境内の4ヶ寺はもともと末寺であったが、戦後の本末制度解体に伴ってすべて(閉山した源通寺を除く)独立した。
伊庭町(いばちょう)にある浄土真宗本願寺派の寺院。
恵日山(えにちざん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
本願寺直末
689年(持統天皇3年)
阿弥陀如来
定慧
藤原不比等
了念
恵日山妙楽寺