じゅふくじ
東京都目黒区上目黒5丁目16番
壽福寺は正式には新清山観明院壽福寺といい、元和元年(1615)、大阿闍梨鳳算大和尚によって現在地に創建されたと伝えられていますが、その草創は更に朔り、室町時代末期の頃にはすでに草庵が結ばれていたと推..
壽福寺は正式には新清山観明院壽福寺といい、元和元年(1615)、大阿闍梨鳳算大和尚によって現在地に創建されたと伝えられていますが、その草創は更に朔り、室町時代末期の頃にはすでに草庵が結ばれていたと推察されます。 壽福寺周辺の地は武蔵野の一角とはいえ、無人の原野ではなく、縄文・弥生時代から人びとの生活が営まれていた土地で、中世時代には相当な生産力のある素朴な文化をもつ地域でした。永禄2年の「小田原衆所領役帳」に「江戸廻目黒本村」と記されていますが、この江戸廻目黒本村とは、のちの上目黒・中目黒・下目黒の三村を指すもので、後北条氏の時代には村落が形成されていたことを物語っており、当寺境内から板碑も発見されています。 寛永7年、三代将軍家光の外護により瀧泉寺が中興され、天海大僧正によって護国院と瀧泉寺の両寺一主の令書が下されましたが、壽福寺が瀧泉寺と本末関係を結んだのはこの頃と思われます。
新清山
観明院
天台
元和元年 (西暦1615年)
阿弥陀如来像
東急バス/渋谷発下馬一丁目循環バス
10分
有