創立年代不詳。『神鳳鈔』に 「二宮曽井御厨上田六丁四反一〇歩。三石。各六・九・一二月」とあり、往古は曽井御厨の神明社に起源するとも考えられる。寛政年間の「保曽井物語」には、牛頭天王は曽井城(城主志村右ヱ門忠春、元亀元年(一五七〇)八月落城)の氏神であり、天神社は東光山観音寺(和泉式部と翡翠の霊宝の伝説のある古寺)の鎮守であったと記されている。明治四〇年九月、境内社の菅原神社(菅原道眞公)、同宇山神社(大山祇命)、字西垣内祇神社(大山祇命)を合祀の上社名を保曽井神社と単作する許可を受け、同年一〇月二六日合祀。