当社の創始は詳らかではないが、古来より現在地に鎮座していたことが伝えられており、海野浦在住の人々の産土神的な神社であったものと思われる。当神社もやはり明治の神社合祀政策の影響を受けた社史を有している。すなわち当鎮座地(海野浦字黒野)の鏡神社〔高御産巣日神〕に明治40年12月23日、その境内社豊浦神社〔足仲津彦命〕・同山神社〔大山祗命〕・同蛭子神社〔事代主命〕を合祀、明治40年12月20日に海野浦鎮座のもう一つの鏡神社に字大河内鎮座の山神社を合祀し、さらにこの鏡神社を明治43年3月5日に当地の鏡神社に合祀し、現在に至っている。尚、古里に分社として鏡神社があり、須佐之男命を奉斎している。