こそだてじぞうそん
三重県伊勢市倭町18
この地蔵尊は、町の古老の話に依ると明治の始め頃、神落萱神社に子授け祈願の参詣にきた夫婦が、帰るとき廃寺となった常明寺の瓦礫の中に埋もれている一体の地蔵尊を見つけ、丁寧に洗い清めて神落萱神社の裏手の木..
この地蔵尊は、町の古老の話に依ると明治の始め頃、神落萱神社に子授け祈願の参詣にきた夫婦が、帰るとき廃寺となった常明寺の瓦礫の中に埋もれている一体の地蔵尊を見つけ、丁寧に洗い清めて神落萱神社の裏手の木の元に安置した。 この夫婦は、以前にも二人の子を授かったがいずれも育たず、嬰児のうちに亡くしていた。ところがその後、女児を授かり子供はすくすくと成長した。夫婦は、これはあの地蔵尊のお陰に違いないと感謝し、地蔵尊をお祀りすることにした。 しかし、夫婦は貧しく、その日の食事にも事欠く暮らしをしており、祠を建てたいが叶わず、思いあぐねた夫婦は、地蔵尊の周りに杭を四本たて、その上に戸板を乗せて、祠の代わりとしてお祀りした。 明治の終り頃までは、この夫婦によってお祀りされていたが、夫婦が亡くなると祀る人もなく雑草に埋もれていた。 その後、昭和二十五、六年頃一人の女性が雑草の中から地蔵尊を拾いだし、木箱を祠にし、トタン板で屋根を拵えて祀った。(この女性は、前記の夫婦の女ではないかと思われる)それからは、誰言うことなく、子育て地蔵と言うようになり、お参りする人も増えた。 その後、何度か木箱の祠は取り替えられ、昭和六十年頃には簡単な祠が建てられた。女性亡き後、町の古老が守っていたが、これも亡くなり、祠も朽ちかけていた。 平成七年金刀比羅神社ご造営の時、造営に携わった町の大工が、祠を寄進した。 平成二十一年、町民の寄付によって新たに造営され、現在の形になった。
廃寺となった常明寺の瓦礫の中から出てきた地蔵尊。貧しい夫婦に子宝を授けたとされる。金刀比羅神社・神落萱神社の境内に祀られている。
近鉄宇治山田駅から徒歩約10分
常時
無料
約3分
無し