回田新田(現小平市回田町)は狭山丘陵の東南にある廻田村(東村山市廻田町)を親村とする新田です。享保十一年(1726年)に野中新田(小平市花小金井、小平市天神町)から土地を譲り受けて秣場(まぐさば・牧草地)として開発された持添新田(もちぞえしんでん)で武蔵野新田でも変わった開発形式をもつ新田です。
はじめの頃は、家を造って定着しようとする人もいなかったが、幕府の指導もあり、農民の定住が進むと、精神的支柱として神社建立を要望する声が村人の間に起こってきました。そこで回田新田の有力者齋藤彌兵衛の持地を社地として提供してもらい、宝暦五年(1755)に武州多摩郡武部(現東村山多摩湖町)の氷川神社と稲荷明神の神霊を勧請したのがこの氷川神社です。