とうせんいん
宮城県栗原市栗駒文字愛宕下16
洞泉院の由来
洞泉院は曹洞宗大徹派に属し、普門山洞泉院と称し、
本尊は釈迦牟尼如来である。
慶長九年(一六〇四)、伊達政宗公五男卯松公(宗綱)が、 二歳で岩ヶ崎城主となった際、伊達..
慶長九年(一六〇四)、伊達政宗公五男卯松公(宗綱)が、 二歳で岩ヶ崎城主となった際、伊達の三傑である茂庭綱元が、御役(守役)として岩ヶ崎に住まいした。宗綱公が十六歳で、病を得て死去されると、綱元は、高野山に登り成就院を建立、三ヵ年に亘り冥福を祈り、その後、仙台城にて重臣の責を果たした。
寛永十三年(一六三六九月二十四日、江戸屋敷において政宗公が去された後、采地の門地村(文字)に住み、 廃絶している古仙院を再肩し、洞泉院とした。自らは名を了庵と号し、藩祖政宗公と宗綱公の冥福を祈り、寛永十七年(一六四〇〇五月二十四日、九十二歳で死去した。
この寺は特に茂庭網元とゆかりが深く、根造りの重厚な「須弥壇」、極彩色「格天井」の花模様の絵、更に「前机」 は程造りの彫刻で、いずれも素晴しく往時を偲ぶ貴重なものとして昭和五十九年十一月二十一日、旧東駒町有形文化財(現栗原市有形文化財)に指定された。
なお、古仙院節に茂庭了庵(綱元)の座禅体の石像が墓
の上に建っている。
平成二十年十二月
栗原市教育委員会
普門山
曹洞宗
大徹派
釈迦牟尼仏
有り