いなりじんじゃ
島根県雲南市大東町大東下分221
平安時代の中頃、朱雀院の御代の天慶二年(西暦九三九年)に、京都の伏見稲荷神社を、五穀成就のため勧請したのが起こり。その後、戦乱等により一時廃れたりしたが、室町時代の末期、後柏原院の御代の大永二年(西..
平安時代の中頃、朱雀院の御代の天慶二年(西暦九三九年)に、京都の伏見稲荷神社を、五穀成就のため勧請したのが起こり。その後、戦乱等により一時廃れたりしたが、室町時代の末期、後柏原院の御代の大永二年(西暦一五二二年)に、この地を治めていた岩熊城主・馬田豊前守の厚い信仰を受けて再興され、田を守り給う神・御田森の神として各地の人々にも広く信仰され、江戸時代の寛永一四年(西暦一六三七年)には大原郡中の合力も得て社殿を改造し、明治・大正・昭和と、稲荷講の広がりと共に、祈祷稲荷として知られ広く厚い信仰に支えられて今に至る。 特殊神事・御田植神事(春祭)、茅の輪くぐり神事(夏祭)、幟山神事(十数年毎)
倉稲魂神、大山祗神、保食神、稚産巣日神
3月19日
なし
あり