つなわきはちまんぐう
福岡県飯塚市綱分866-1
往古神功皇后、新羅より帰らせ給い、その年12月14日、粕屋郡蚊田(現、宇美)村にて誉田皇子(応神天皇)を生まし給ふ。 明年辛巳歳春2月京に帰り上らせ給わんとて、皇子をたずさえ蚊田村より大口の峠を..
往古神功皇后、新羅より帰らせ給い、その年12月14日、粕屋郡蚊田(現、宇美)村にて誉田皇子(応神天皇)を生まし給ふ。 明年辛巳歳春2月京に帰り上らせ給わんとて、皇子をたずさえ蚊田村より大口の峠を越させ給い、穂波郡に出させ給う。それより嘉麻郡にうつらせ給い、金石山の麓金丸村(現綱分)の清地に御輿をとどめさせ給ひ、皇后勅曰く、「吾この度三韓を隨え筑紫をおさむ、猶又婦女のただならぬ、身につつがなく皇子やすらかに生させ給う事偏に神の力なり。然れば此所に於て天神地祇を祭り報賽の幣帛を奉らん。」と則武内宿禰に命じて神祇を祭らせ給う。この時神霊となりし三振の宝剣その他種々の神宝又蚊田村にて、安産のまじないなればとて、槐の枝にかけ給ひし御産の綱を分て、この斎場に納めさせ給う(よって綱分の号ここに起こる)。 かくて皇后群郷及百寮をひきいて京に帰り上らせ給う。それより御代々を経ぎ人皇45代聖武天皇神亀年中に至りて、郷人いにしへよりの伝説にもとずき八幡宮を祝い奉らんと宮所を定め、その地を改めしに三つの瓶を掘らせり。内に三振の宝剣(皇后神祇を祭らせ給いし時神霊となりし宝剣)あり、則八幡宮三所(応神天皇・仲哀天皇・神功皇后)の御神体として、初めて祝い祭り奉る綱分八幡宮是なり。
「綱分(つなわき)八幡宮」の創建は、神亀2年(725)と伝えられています。 宇美町「宇美八幡」、福岡市「筥崎宮」、飯塚市「大分八幡」、大分県宇佐市「宇佐神宮」と並ぶ由緒深い神社の一つです。
応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
県社
神亀2年(725)
西鉄バス綱分バス停下車2分
有り